2017年2月2日木曜日

アウトロー

小学生の頃、授業中に漫画を読んでいたら先生に見つかって反省文を書きなさいと言われたので、「なんで漫画読んだごときで先生に怒られるのか意味不明!納得できる理由を説明してよね!」という内容の作文を提出したのを覚えている。


物心ついたときから、アウトローだった。既存の枠にハマるような感じではなかった。お転婆でじゃじゃ馬で、先生に目をつけられていたみたいで、席はいつも前のほうにさせられていた。


常識を信じなかったし大人も信じなかった。信じないのは防衛本能で、信じてしまったら自分の感覚を失ってしまう危険すら感じていた。ただそれと同時に自分の感覚も誰より長いこと疑ってきた。


直感で感じたことに裏付けが取れないと不安だったし、裏付けが取れるまで執着して考えつづけた。大人からいっぱい怒られてきて育つと、やはり、自信がもてなくなる。何度も自分の感覚は間違ってるんじゃないかと揺らぎながらなんとか保ってきたところもあった。


20歳を過ぎてから、インテリと仲良くなった。私達はお互いを面白がっていた。小学校や中学校、あまり記憶にない高校生活では出会えなかった仲間だった。突き抜けたインテリの中身はほとんど変態だった。


「直感でコレだ!と思う一瞬の閃きと、裏付けを何度もとって研究していって、コレだ!というのは、違うんだ」とインテリがいつか言っていて、私と同じ事考えてる!とうれしかった。


アウトローは基本的に孤独に育って我が道をいく。個人的には同じように考えていた仲間がいたんだ!という出会いが、ここまで生きてきて良かったなと感じるよろこびでもある。


小学生の頃に感じていた、漫画を読んで先生に怒られた時の違和感も長いこと考えつづけたらそれが何だったのか解明できた。


そもそも、大人が年下や子供に教えたがったり説教したがるのは本人が尊敬されたいとか認められたい感謝されたい気持ちからする行動なので内容は特に意味がないのだ。先生だからとか、大人だから尊敬するというのはちょっと危ない。心から尊敬しているから尊敬するし感謝しているから感謝するし、あのとき、授業が漫画よりも面白ければ間違いなく授業を聞いていただろう。漫画より授業に夢中にさせてくれるような先生でいてよね!と言いたかった。


私の勉強嫌いは、漫画より面白い授業がなかったから勉強する意味を見出せなかっただけだった。


勉強の面白さを知ったのは、20歳過ぎて、インテリの友達と遊びはじめてからだった。たしか25歳ぐらい、恵比寿のカレー屋である友達が日本史の解説をしてくれた時、興奮して涙がでそうになった。こんなに面白い先生に小学校で会いたかった!と叫んだ。


インテリは学問とはなにかを知っている。心から学問の面白さを知っていて体現している。徹夜で受験勉強をして暗記していたあのつまらない感じと、インテリが教えてくれた「知」は、本質的に別物だった。私は勉強にのめり込むように夢中になっていった。これから一生夢中になっていけるだろう。もっと知りたい、もっと学びたいと、意欲的でいられる。学ぶことには終わりがない。


アウトローでいていいんだと自分を肯定できたのはほんの最近。同じようにアウトローで生きている人達に何人も出会えたからだった。アウトローが社会で活躍して成功していくのをこの目で見たからだった。そうじゃなかったら、今頃は、まだ人とは違う感覚をもつ自分に悩んでいただろう。


アウトローはそのまま貫き通せば社会を変革するようなスーパーヒーローになれる。アウトローはアウトローにしかない人とは違うユニークな視点を独自にもっているから、


だからお願い。先生みたいに、怒らないで。

アウトローをそのままでいさせて。

















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