私は、その場で驚愕してしまった。
まさか自分が両親の愛の結晶だったなんて思ったことが一度もなかった。思わず聞き直した。そのぐらい、私が育ちながら自然に見てきた景色は複雑だった。
「嘘でしょ?うちの場合は違うと思う」と否定してなにかの間違いにしたかった。
その話を東京で暮らす独身女性3人にしてみた。「ねぇ、まさか自分がパパとママの愛の結晶だったって知ってた?」と。「そんなこと思った事ない!」と私と同じく驚愕していて仲間が居て良かったとホッとした。
みんなそれぞれ地方から上京してきて、30歳を過ぎてもまだ東京で生き残っているような女性たち。私達が両親の愛の結晶だと幼少期から感じられていたら、今ここで頑張っていないかもしれないよねと、語り合った。幼少期は壮絶なのが当たり前だと思ってたけどもしかしてみんなはそうじゃないのかな.... 私達は家庭が平和ではなかったから行動を起こして遠くに行くしかなかった。ぬくぬくと毎日愛を感じられるような環境なら、家を出るモチベーションもなかっただろうし、出たとしてもすぐに挫けて泣いて安心な家庭に戻っていただろう。
「やばいな、これは、1人で生きていくしかないんだな」
と、若いうちに決心してきたから行動が起こせたわけで、努力と行動で人生変えられるのなら楽勝だよねという強さも備わった。(強さというよりそれが普通だと思っていた)
何が正解かなんて分からない。ただひとつだけ言えるのは、ひたむきに希望を持って行動を起こし続ければどんな状況も変えられるし、行動すればなんだって正解になるものなんだ。
ずっと引っかかっていた胸の詰まりをとりたくて、あとは思い出せなくなっていた記憶の整理もしたくて、すこしづつ、家族と住んでみた。まずは母親と。その後は父親と祖母と住んだ。
家族のイメージが最悪というところから立ち直りイメージを書き換えていくのは、どれだけ骨が折れる作業なのか、本当に経験がある人にしか分からないと思う。誰にも打ち明けられず、心の中で葛藤をし続けてそのまま死んでいく人も多くいるんだと思う。人には本人にしか見えていない事情があるものなんだ。
癒されるのにも記憶が書き換わるにも一歩ずつ、という感じで、段階があった。
じつは、「愛の結晶」をすべてで理解できるようになったのは今日のことだった。いつかもし、母親になる日がやってきたら、あなたはパパとママの愛の結晶だから、産まれてきてくれたことが本当にうれしくて感謝してるって、子供に言おうかな。
0 件のコメント:
コメントを投稿