どんな風にみてくれているのか、想ってくれているかを、カメラを通して感じるから。あなたそのものにはなれないけれど、あなたの感受性で、感じた気になる。あなたそのものの感受性は、決して、私のものじゃないんだけどね。
目の前にいる人がなにを感じているのか本人にしか分からないのは、人間に与えられている試練かなと思うのです。この線がなくなればいいのになって、何度、感じたことか。
「おれは、そこらへんにいる他の男とは違うから、まっすぐに、おれをみろよ」って、そういえば、表現の形を変えながらずっと言われてきたのです。そう言われた理由には、傷心フィルターが、かかっていた。恐怖に心を囚われていて、あなたは他の誰でもない人のはずなのに、どうしてもまっすぐに見られなかった。そんなところも含めて、包み込むように見守られていたんだろうね。
逆をいえば、私がどんな視線であなたを見ているのかあなたは感じられないけれど、もしも伝わったら、感動すると思うんだよね。美しいところをいっぱい見ているから、泣いちゃうかもしれないよ。
恋や愛に限定した話じゃなくてすべてのコミュニケーションが、あなたのカメラで、世界をみて感じて考えて、生きることが出来たら、もっと気持ちよくなれそうだ。分からないけど分かる気がするってなりたい。通じ合いたい。
ココシャネルの写真集をみつけた。
この写真撮った人、彼女が、大好きなのかな。
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