miuna saito
2017年2月23日木曜日
理想主義
2017年2月13日月曜日
傷
世の中にそんなものがある事を知らなかった。
とても寛容な人達に囲まれて、寛容な街で育っていたから、嫉妬する文化とか、嫉妬の感情がわからなかった。
私は他人に嫉妬したことがほとんどない。
他人に嫉妬するぐらいなら行動を起こして自分を変えようとエネルギーをもっていくから、うまくいっている人の足を引っ張ったりする行動は生産性ないよねって感じで、よくわからない。うまくいってる人を見たら、必死で勉強してそのレベルについていくようにする。どうやって追いついて追い越せるのだろうかと考える。その行動を続けるだけで、今まで得てきたものはかなりあった。
私自身は嫉妬がよくわからないし他人を引きずり落とすような行動をしない人だけど、結構、やる人はいるので、どうやって対処していこうかと、考えてきた。
それで、考えたり悩んでいるうちはまだ自分のレベルがその人達と同じ階層にいるから考えるんだなというのがわかった。突き抜ければ、別に他人がどう思うかとか、どう見られるかなどは、重要事項ではなくなる。
何かやってると炎上するから超面倒くさくて何もしていないときもあったんだけど、そうすると、面白いことに何かやれよと文句言われたり炎上する事実もわかった。他人の評価はアテにならないと証明ができた。誰かに気にいられようとするのは疲れるし、無意味な時間なんだと。その確信がもてるまでに時間がかかった。
今、アテになるのは自分の直感だけ。
究極、仲間がいなくても褒められなくても認められなくてもいい。ただ自分が好きだからやるんだ、身体が勝手にやりだしてしまうんだというぐらい、直感がやりたいことをしていくのがいいと思ってる。
本当にいえるのは、迎合することに、なんの価値もなかった。
2017年2月2日木曜日
アウトロー
小学生の頃、授業中に漫画を読んでいたら先生に見つかって反省文を書きなさいと言われたので、「なんで漫画読んだごときで先生に怒られるのか意味不明!納得できる理由を説明してよね!」という内容の作文を提出したのを覚えている。
物心ついたときから、アウトローだった。既存の枠にハマるような感じではなかった。お転婆でじゃじゃ馬で、先生に目をつけられていたみたいで、席はいつも前のほうにさせられていた。
常識を信じなかったし大人も信じなかった。信じないのは防衛本能で、信じてしまったら自分の感覚を失ってしまう危険すら感じていた。ただそれと同時に自分の感覚も誰より長いこと疑ってきた。
直感で感じたことに裏付けが取れないと不安だったし、裏付けが取れるまで執着して考えつづけた。大人からいっぱい怒られてきて育つと、やはり、自信がもてなくなる。何度も自分の感覚は間違ってるんじゃないかと揺らぎながらなんとか保ってきたところもあった。
20歳を過ぎてから、インテリと仲良くなった。私達はお互いを面白がっていた。小学校や中学校、あまり記憶にない高校生活では出会えなかった仲間だった。突き抜けたインテリの中身はほとんど変態だった。
「直感でコレだ!と思う一瞬の閃きと、裏付けを何度もとって研究していって、コレだ!というのは、違うんだ」とインテリがいつか言っていて、私と同じ事考えてる!とうれしかった。
アウトローは基本的に孤独に育って我が道をいく。個人的には同じように考えていた仲間がいたんだ!という出会いが、ここまで生きてきて良かったなと感じるよろこびでもある。
小学生の頃に感じていた、漫画を読んで先生に怒られた時の違和感も長いこと考えつづけたらそれが何だったのか解明できた。
そもそも、大人が年下や子供に教えたがったり説教したがるのは本人が尊敬されたいとか認められたい感謝されたい気持ちからする行動なので内容は特に意味がないのだ。先生だからとか、大人だから尊敬するというのはちょっと危ない。心から尊敬しているから尊敬するし感謝しているから感謝するし、あのとき、授業が漫画よりも面白ければ間違いなく授業を聞いていただろう。漫画より授業に夢中にさせてくれるような先生でいてよね!と言いたかった。
私の勉強嫌いは、漫画より面白い授業がなかったから勉強する意味を見出せなかっただけだった。
勉強の面白さを知ったのは、20歳過ぎて、インテリの友達と遊びはじめてからだった。たしか25歳ぐらい、恵比寿のカレー屋である友達が日本史の解説をしてくれた時、興奮して涙がでそうになった。こんなに面白い先生に小学校で会いたかった!と叫んだ。
インテリは学問とはなにかを知っている。心から学問の面白さを知っていて体現している。徹夜で受験勉強をして暗記していたあのつまらない感じと、インテリが教えてくれた「知」は、本質的に別物だった。私は勉強にのめり込むように夢中になっていった。これから一生夢中になっていけるだろう。もっと知りたい、もっと学びたいと、意欲的でいられる。学ぶことには終わりがない。
アウトローでいていいんだと自分を肯定できたのはほんの最近。同じようにアウトローで生きている人達に何人も出会えたからだった。アウトローが社会で活躍して成功していくのをこの目で見たからだった。そうじゃなかったら、今頃は、まだ人とは違う感覚をもつ自分に悩んでいただろう。
アウトローはそのまま貫き通せば社会を変革するようなスーパーヒーローになれる。アウトローはアウトローにしかない人とは違うユニークな視点を独自にもっているから、
だからお願い。先生みたいに、怒らないで。
アウトローをそのままでいさせて。
2017年1月30日月曜日
暖かくなってきました。
ゴルフ歴1ヶ月。どこに飛んでいくか分からないうちはとりあえず攻めてあとから修正すればいいやって考えながら今はゴルフしているの。
振り返れば人生全部そうだった。とりあえずやってみる。やってみて修正点、改善点をみつけてスキルアップして、次を考えようだった。そうでなきゃ何事も始められない。
方向性さえ間違えなければなんとでも修正可能なんだよね。経験値も安心感もあるから、昔よりも挑戦のハードルがさがっていい感じになった。
今年はとにかく遠くに飛ばしていきたい。もう、やりたい事は全部ひとまとめにやっていかないと時間がもったいない。
『美しく豪快でポジティブ』がキーワード。
なんか、動き出したくてウズウズしている!
2017年1月29日日曜日
好きと向き合う
最近のテーマは、「選択と集中」で、これから暫くは本当に好きなことを磨き上げていこうと考えている。
どうしてこの考えに至ったのかというと、今までは向いてると他人から言われるようなことを器用にやってきたんだよね。言い方をかえると「無理」とか「出来ない」と言わずになんでも器用に対応できる自分になりたかった。それが、喜びでもあった。よく分からないけど、なんでも器用にできる人達は「器用貧乏」と言われて非難されてるけど、なんでも出来ないより出来るほうがいいに決まってる。器用な人達は出来るまで諦めていないから器用で、不器用な人は出来ないと言って途中で諦めてるから不器用なだけなんだよね。だから、「器用貧乏」という概念自体が幻想なんだ。
やろうと思えばなんでも出来る状況対応力は身につけたから、つぎは、好きなことを選び取って進んでいこうと考えている。
それで、好きに集中するとき、周りの声に惑わされないことが超大事だと思う。たとえば、世間体とか。「もう、〇〇歳なんだから〜」などと、ありきたりな枠に自分を当てはめたりすると脳が死ぬ。そういった世間体を重視したような説教をしてくるおじさんとおばさんがたまにいるけど、きっとそういう人達は、自分の好きなことを完全には選ばずに、自分ではない誰かの、社会の目を気にして、人生を選択してきてしまった後悔が胸にあるんだと思う。時間は取り戻せないから正しい選択だったと自分に言い聞かせるために年下に説教したりアドバイスする。でも、年下は賢いから、見抜かれちゃうんだけどね。
幸せになりたければ、誰にどう思われようと好きなことに没頭する。幸せはこんなにシンプルなのに、出来てる大人があまりいないのは不思議だよ。みんな、自分が見ている自分ではなく、人に見られている自分を気にして生きている。自分自身に判断基準があればいつでもどこでも何をしていてもハッピーになれる。それが、真のリア充。
「好き」についてずっと考えてた。好きはとっても深いからね。まず、やってみないと好きかどうかは分からない。次に、やり続けないと好きかどうかはみえてこない。
私は、いろいろ試してみる派だけど、好きになりそうと思ってやってみたら想像と違ってあんまり好きじゃないな、なんてことはよくあった。逆に、最初は特に興味なかったけどやってみたらハマったこともあった。
【瞑想、ゴルフ、読書】
今の私が、好きなことだけど、まさか、舞台で踊ってた時代にこんな渋い趣味をもつなんて想像もつかなかった。きっとまだ出逢っていない、開発されていない「好き」が世界にはたくさんあるんだろう。歳とって好きになるみたいなこともあるだろうしね。
食わず嫌いはよくないね。とりあえず、食ってみて、美味しければ食べ続けるし、不味かったら吐き出す。それでいいと思う。好きなことだけ残して、好きをどんどん磨いてく。自分が良ければ、それでいいよ。